最上義光歴史館/館長の写真日記 令和5年10月28日付け その3

最上義光歴史館
館長の写真日記 令和5年10月28日付け その3

「賦何墻連歌」冒頭部分

 連歌会においては、ただ目の前の情景を和歌で表現するだけではなく、古典を踏まえた場面選びや本歌取りがあり、一方、他人の句を受けて繋ぐことから、前句にある由来や意味を理解し、式目を踏まえながらも新たな展開への刺激となる句を付ければなりません。歌会に人が集い詠み合うという「座の文芸」ならではの気のきかせ方が求められます。古今和歌集には紀貫之が「猛き武人(もののふ)の心をも慰むるは、歌なり」と記していますが、時代が進んで、踏まえるべき古典や式目も多くなり、気付きの有無や歌の出来不出来が面子にもかかわるため、「心をも慰むる」どころか、かなりハードなものではなかったかと思われます。連歌会は夜を徹して行われることもあり、「賦何墻連歌」なんか、脇句の段階で「明(け)やすき山」、山の空が白み始めている、とか詠んでいるわけで、あ、違うか。とにかく、連歌会の挙句の果てには、身も心もボロボロになったのでは、と思ってしまいます。
 さて連歌には、「月」と「花」の句を詠み入れることとなっていますが、月と花は「中秋の名月」と「桜」を意味するのが慣例です。これでいくと、「おる花のあとや月見る夏木立」では、花は春、月は秋、でも季語は夏木立で、春、夏、秋をいっぺんに詠み込んだ、という句になります。ただ、「おる花」は回想であり、「月」はどの季節でもいいということにもなっているので、とりあえず季語がごっちゃになっているわけでもありません。
 さらに「花」については、挙句のひとつ前の句で取り上げることが通常なのだそうです。が、「賦何墻連歌」では、「別れた男は、今日は誰と」という句になっています。一方、テーマとなっている「墻」はどこにいってしまったのか、全ての句をざっと見渡しても見出せません。もう、主題も進行も関係ないフリージャズ状態です。
 ところで「賦何墻連歌」の挙句はつぎのようなものです。
(挙句) あたなる人に ちきるはかなさ  玄仲
漢字を当てはめると「徒(あだ)なる人に 契るはかなさ」、つまり「あてのない人と約束するむなしさ」とでも訳すのでしょうか。これを素直に遊女を詠んだ句とするのは易しいのですが、そうです、遊女を義光と置き換えれば、「徒なる人」とは秀吉ということに。あるいは、玄仲は里村紹巴の次男なのですが、遊女は紹巴とも置き換えられるのでは。以上、私の解釈にすぎませんが、どうでしょう、天国の名子先生。
 なおこの句は、「会はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち」という徒然草137段にある文言に出典を求めることができます。この137段と言えば、あの有名な「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」で始まる段で、ああ、ここで発句と同じく挙句にも、「花」と「月」とをぶっこんだのかと。こうなるともう、あらかじめ発句の段階で用意されていたとしか思えません。やはり連歌恐るべし。蛇足ですが、「徒なる」という言葉は、「徒然なる」という言葉とも関係します。
 さて、ここらでいつものことわざを、とは思ったのですが、今回は連歌に由来する慣用句を3つほど。
 まずは「花を持たせる」。花と月は定座 (句を詠む位置)が決められていました。しかし、連歌会で最年少もしくは特別な主客がいる場合には、歌を詠む順番を変えてでも、その人に「花」の定座の位置を譲る心配りをしていました。これが「花を持たせる」の由来です。次に「月並み」という言葉ですが、月を詠み込むときに、月の言葉が入る例えば「正月」や「神無月」などの言葉を用いても、それはただの「月並の月」(つきなみのつき)とされ、月の句とはならないことからきています。そして「挙句のはて」という言葉は、御存じのとおり、いろいろやっても好ましい結果にならないことで、私の日常においては「月並み」とともに身に染みる言葉ではあります。



(→館長裏日誌)


2023/10/28 09:03 (C) 最上義光歴史館